沖縄の成人式はいつからド派手になったの?

成人式

沖縄の成人式というとド派手な紋付き袴で国際通りを練り歩く姿が全国ニュースでもたびたび話題に…。「荒れる成人式」といわれる沖縄の成人式ですが、いつからここまでド派手な成人式になっていったのでしょうか?

戦後の沖縄は、誰もが日々の生活に追われゆとりのある暮らしと呼ぶにはまだまだ程遠い時代でした。

そんな戦後の沖縄では、「成人式」ではなく「成人祭」として行われていました。

もちろんこの当時の沖縄の成人式では、振り袖姿はほとんどありません。当時は本土に集団就職をする人も多く、さらに働きながら定時制学校に通う人も少なくありませんでした。

そんな当時の成人式には、セーラー服姿で式典に参加する人の姿も多く見られました。

当時の写真を見る限り、戦後間もない頃の沖縄の成人式は「初々しさが目立つ素朴な成人式」です。「荒れた成人式」を予感するものはどこにもありません。

成人式

戦後20年を迎える頃になると、成人式の衣装も大きく変わります。

戦後直後はセーラー服姿の女性が多かった沖縄の成人式も、戦後20年がたつとほとんどが振り袖姿に変わります。そして男性の衣装もスーツ姿が主流になります。

この時点の沖縄の成人式はいわゆる「一般的な成人式の風景」そのものです。あえて目立とうとする若者はほとんど見られず、「女性は振袖、男性はスーツ」が定番でした。

このままの成人式が伝統として続いていれば、「荒れた成人式」として全国ニュースに取り上げられることもなかったはずです。

ド派手な紋付き袴姿が見られるようになったのは平成以降の成人式です。

バブルの恩恵を受けた世代が成人を迎えるのがこの頃で、価値観の多様化も広がりました。

それまでは「決められたレールを確実に歩んでいく」ということが常識でしたが、「個性=かっこよさ」「多様化する働き方」「社会のルールに縛られない生き方」を求める若者が増えてきます。

そんな時代に突入した平成の新成人の中には「人よりも目立つこと=かっこいい」と考える人が少しずつ出てきます。

ただ・・・この時点での成人式は「目立つ」ということが目的であって、「問題行動を起こす」という人はあまり見られません。

ですが、その後いろいろな意味で「個性」を主張する若者たちが増えてしまいました。

成人式

出身中学ごとにおそろいのド派手な紋付き袴姿でオープンカーやリムジンを貸し切り、街を練り歩くようになったきっかけは那覇市の合同式典がきっかけだったといわれています。

もともと那覇市内の成人式は、4つの地域に分けて行われていました。それが1992年以降…これを統一し、一括開催を始めます。

式典では出身中学校ごとに余興をすることになったのですが、いつの間にか「出身中学校対抗パフォーマンス大会」のような形に変わっていきます。

ただ、この時点ではまだ「荒れた成人式」というよりも「余興を楽しむ成人式」というイメージにすぎません。本格的な「荒れた成人式」へと変わったのは2000年以降の成人式です。

この頃になると那覇市が主催する式典には参加せずに、出身中学ごとに集まり酒を飲む新成人の姿が目立ち始めます。

さらに酒に酔った新成人たちが暴徒化し、建物を壊したり車の窓ガラスをたたき割るなどの行為が見られるようになります。

そして、この様子が全国ニュースに流れ「沖縄の荒れた成人式」として注目されるようになっていきます。

沖縄の「荒れた成人式」というレッテルは、一度張られてしまった以上なかなか外せません。確かに今でも、仲間でおそろいのド派手な紋付き袴を着て国際通りを練り歩く新成人の姿は見られます。

でも、10年以上国際通りの近くに住み続けてこの様子を見てきた私からすると、かつてのような「荒れた成人式」というイメージは年々消えてきているように感じます。

確かに酒に酔って大声で騒いでいる新成人の姿を見ることはありますが、それはド派手な紋付き袴姿の新成人とは限りません。

酔って大暴れしているスーツ姿の新成人の方が場合によってはタチが悪いこともあります。でも、注目されるのは奇抜な服装の若者たちの方…。

つまり「荒れた成人式」というレッテルはそろそろ終わりを告げようとしていると思うのです。

ド派手な衣装はあくまでも個性。自分たちらしいスタイルで仲間と一緒に成人を祝うというだけなのです。

それが分かれば、荒れた成人式を引き起こしている張本人が彼らではないことが見えてきます。その時に初めて「荒れた沖縄の成人式」というレッテルからサヨナラすることが出来るのでしょう。